正調名古屋甚句の歴史(名古屋邦楽協会による)

江戸時代後期から伝承されてきた名古屋甚句が隆盛してきたのは、明治10年頃(1877年)大須の美人芸者で踊りも達者だった「甚鍵」の人気によるところが多かったようです。
その甚鍵の衣鉢を継いだ荒川ふく(通称荒ふく)が名古屋甚句の指導に当たって、郷土芸能を伝えようと努力してきましたが、明治・大正・昭和と唄い継がれてきた名古屋甚句も一時すたれてしまったようです。
しかしながら、その荒ふくに就いて修行した吉安けい(甚登代)がその伝統芸能を継承し、名妓連の代表として名古屋甚句を広めていきました。

 

「芸者殺すには刃物はいらぬ、甚句とめれば皆殺し」と言われるように花街に幅をきかせていたことが伺われます。幕末から明治にかけ、一般大衆に盛んに唄われたものらしい。